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日本フィルハーモニー物語 炎の第五楽章

日本で職業的交響楽団として活動している数は、札幌交響楽団から九州交響楽団まで、現在全部で23団体なのだそうです。もちろん、人数も多く維持費もかかる交響楽団ですので、興行収入だけではなかなか難しく、補助金を受け、企業や地方自治体を経営母体として仰がざるを得ないところも多くなります。



『ビルマの竪琴』、『太陽の季節』、そして渡り鳥シリーズなどをヒットさせた日活は映画の斜陽にあわせて、1971年からはロマンポルノ路線に舵をとって、それは1988年までつづくことになります。1978年には社名を「にっかつ」と変更。経緯については知らないのですが、その3年後の1981年に、にっかつによって作られた一般映画です。

通称・日フィルとして呼ばれることもある日本フィルハーモニー交響楽団は1956年に創立したオーケストラですが、1972年6月に経営母体であった文化放送とフジテレビが交響楽団解散と全楽団員解雇を一方的に通知。1984年の和解に至るまで、解雇を不当とする労働争議、分裂による新日本フィルハーモニー交響楽団の設立、7割の残ったメンバーによる自主運営と聴衆・音楽愛好家の支援による演奏活動など、さまざまな出来事がありました。この映画はまだ争議中の1981年に、日本フィルハーモニー交響楽団がその難関を乗り越える過程を題材にラブ・ロマンスを絡めたフィクション仕立ての映画です。

それまで『天皇の料理番』などのテレビ番組に出ていた女優、田中裕子の初映画出演作であり、主人公の恋人役であるヒロイン・茂木伸子を演じていました。その主人公は風間杜夫。樺沢昇という、バイオリン奏者として放送局の援助打ち切りによって楽団が混乱状態に陥った日本フィルハーモニーに入団したての新人として演技をしています。

音楽は現代音楽の作曲家でこの頃は映画音楽作曲家としても重鎮であった林光、演奏はもちろん日本フィルハーモニー交響楽団で渡辺暁雄が指揮をしています。

この映画、テレビ局が敵役だけに今までにテレビで放映されたという話を聞きません。まだ、ビデオ、LD、DVDにもなっていないようで、埋もれてしまうのは惜しい映画です。ぜひまた日の目を見ることを望みたいものです。


【日本フィルハーモニー物語 炎の第五楽章 1981年 日本】
by santapapa | 2005-11-22 23:53 | 邦画
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