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TOMORROW 明日

TOMORROW 明日

明日を表すTOMORROWという英語は、「朝」を表すmorgenという古英語の単語に「~に向かって」というtoが頭について出来た単語だそうです。かつて「明日という字は「明るい日」と書くのね」という歌がありましたが、誰もが明日という日に一縷の希望を持って毎日を生きています。

この映画の舞台は第二次世界大戦終結間近の1945年8月8日水曜日の長崎。その日の昼前から翌日の8月9日の11時2分までのそこに住む人々の物語です。



戦時下でいつ空襲になるかわからない中で、工員の中川庄治(佐野史郎)と看護婦のヤエ(南果歩)の結婚式が自宅でしめやかに行われます。俘虜収容所に勤務する友人の石原継夫(黒田アーサー)も訪ねてきて、写真屋の銅打(田中邦衛)の音頭で腫れの日の記念写真を撮ります。ヤエの妹の昭子(仙道敦子)は夜半に恋人である長崎医大生・英雄(岡野進一郎)に呼び出されて密かに会います。英雄は赤紙が来たことを告げて駆けおちを提案しますが、昭子は「それでも男ね」と突っぱねたものの涙が止まりません。石原の勤務する俘虜収容所では、上層部の応援依頼も断られて、満足な手当てもできずに俘虜のイギリス兵が病死してしまいます。やるせなさに石原は丸山の遊廓に行きます。ヤエの姉のツル子(桃井かおり)は出産間近で陣痛を訴えて、夜には子供が生まれそうな状態。ベテランの産婆さん(賀原夏子)のが夜中に駆けつけて、9日の早朝に玉のような男の子が生まれます。

8月9日のお昼前、生まれたばかりの赤ん坊に乳をやるツル子、坂で遊ぶ子供、前日の結婚式の写真を現像する銅打、訓練で行進する人々。そこに浦上天主堂の上空に差しかかった米軍機から原子爆弾が投下されて、長崎の街は千の太陽よりも明るい光に包まれてしまいます。そして・・・・・・、この映画はそこで終わっています。

この映画は長崎出身の井上光晴が書いた小説「明日・1945年8月8日・長崎」が原作になっています。1945年8月9日の11時2分に原子爆弾が落とされて市街地は阿鼻叫喚の地獄絵となり、推定約7万人の人が亡くなったということを知っていることが前提条件となります。もう既に60年前の大きな出来事ですが、今でも毎年ニュースで流れるのでおそらくほとんどの方は知っておられると思っています。

この映画では原子爆弾投下後の恐ろしく悲惨な状況は一切描かれていませんし、反戦反核を強く主張する場面はありません。市井の人々が結婚したり、子供を産んだり、一生懸命に明日を信じて生きていく姿が描かれています。その後に長崎に起こる状況を知っていて「神の視点」から映画を見ている観客には、その姿が次第に居たたまれないものになっていきます。銅打が「明日はどうなるかわからないんだから今日やっておくよ」と言ったり、中川庄治が妻になったヤエと翌日一緒に買い物を約束する場面、夜、出生の秘密を話そうとしたのを中断されて、「明日でも明後日でもまた話せばいいじゃない」と言われる場面など、見ながら胸が締めつけられてしまうほどです。出演している役者の方の演技も非常にすばらしく、画面に引き込まれて見てしまいました。

私は高校-大学時代の7年間を長崎で過ごして友人も多く、長崎は第二の故郷だと思っています。この映画のロケーションは外せない部分は長崎で行ったそうですが、当時と現在では変わっているところも多く、佐世保や鎌倉でも撮影されたということ。それを感じさせないだけの雰囲気を作り上げていました。そして最後の最後で原子爆弾が落ちる前の長崎の光景だけは、ビルが並び立つ今現在(1988年)の長崎の姿。監督は今現在でも起こりうることだということをその場面に込めたかったそうです。

音楽は『海と毒薬』なども担当している現代音楽の重鎮、松村禎三。同時期に製作されて同じ時代を描いた『海と毒薬』の音楽は現代音楽風味がたっぷりでしたが、この映画では控えめに最小限必要な部分にだけ、ノスタルジイを感じさせる優しい音楽を入れています。「最後の時」が刻一刻と近づく場面では映像の編集効果も相まって、打楽器が時を刻む松村禎三の音楽が最大限の効果を上げているように思います。

派手さはなく静かに物語が進む静かで地味な映画ですが、じわじわと心に染みてくる名画だと思います。この先、ずっと語り継がれて行ってほしい映画です。


【TOMORROW 明日 1988年 日本】
by santapapa | 2005-06-13 21:50 | 邦画
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