大魔神

大魔神

昨日のNPB阪神-横浜戦は阪神の藤本選手が、横浜のクローサー佐々木投手からサヨナラ・ヒットをもぎとるという劇的な試合でした。横浜の佐々木投手は大魔神と呼ばれ、かつては絶対的守護神として名を轟かせメジャー・リーグにも行った投手でした。



時は戦国の世、京の都に近い山国にある城では家老の大舘左馬之助(五味龍太郎)による諜反が起って、城主だった花房忠清(島田龍三)夫妻は討たれてしまいます。遺された子供の忠文(青山良彦)と小笹(高田美和)は近臣猿丸小源太(藤巻潤)とともに巫女である信夫(月宮於登女)の手を借りて、山奥の巨大な武神像の傍らの洞窟に潜んで大きくなるまで暮らしました。実権を握った左馬之助は重税をかけて領民を苦しめます。やがて左馬之助は忠文を捕らえて、山の神の怒りの恐ろしさを諭す信夫を惨殺、腹臣犬上軍十郎(遠藤辰雄)に武神の破壊を命じます。忠文と小源太が処刑されることを聞いた小笹は、武神像に祈り続けこの身の命に代えても救おうと大滝へ身を投じようと決心します・・・・・・。

大映特撮映画のみならず日本特撮映画上でも傑作といえる『大魔神』全三作の記念すべき第一作目です。戦国時代が舞台ということで時代劇のテイストが濃いシリーズなんですが、荒ぶる神としての動く巨大武神像とじつにしっくりくる設定になっています。そういう部分が怪獣映画の亜流でありながら、決して子供だましに作られていない一因にもなっているのかもしれません。

実際に大魔神が現れるのは物語の後半で、左馬之助の圧政に喘ぐ領民を描く前半と大魔神が現れる後半のコントラストを非常に強く打ち出しています。テレビの連続時代劇ものでもよくある圧迫から一気に解放されるカタルシスを感じさせてくれる映画なんですが、この映画の場合そのコントラストが異様に激しいのと、大魔神の破壊が止まる場面の作り方がまた、話にメリハリとリズムを作っていると思います。

この大魔神、滝の上の岩壁に祭られている時は顔がハニワそのものなんですが、一端動き出すと金剛力士像も叶わぬほどの憤怒の表情に変わります(この腕をゆっくりと上げて表情が柔和から憤怒に変わるのは、当時の子供は「大魔神ごっこ」として遊んだのではないでしょうか)。特に大魔神を演じた橋本力の目の演技が素晴らしく、その眼光の鋭さは人を射抜くほどの怒りを発しているように見えます。またこの作品では鬼神もかくやという荒れぶりで、巨大な武神像による容赦ない破壊と惨殺、どこまでも追ってくる恐怖と、映画館で見ている方には今にもスクリーンから飛び出てくるのではと思わせるような臨場感がありました。映像、美術、効果音、音楽が一体となって重量感と恐怖感を打ち出しているところが見事です。まったく子供心にトラウマに残るような映画です(苦笑)。

改めて見てみて、『プルガサリ』が『大魔神』リスペクトの映画だということが再認識できます。

東宝のゴジラ・シリーズで名高い伊福部昭は、『伊福部昭の映画音楽』を読むと判るように、実は大映での仕事の方が70作と多いのですが、この大魔神での音楽はその中でも代表的なもののひとつでしょう。重厚でスケール感が大きく、また時代劇である部分にも非常にマッチしています。


【大魔神 1966年 日本】
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by santapapa | 2005-04-11 21:56 | 邦画
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